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おおの みきよ
大野 幹代
プロフィール
元女性アイドルグループCoCoのメンバー
生年月日 1974年6月17日
現年齢 42歳
出身地 東京都
日出女子学園高校、大東文化大学卒業
血液型 B型
公称サイズ(2005年時点)
身長 / 体重 167 cm / ― kg
スリーサイズ 83 - 59 - 86 cm
靴のサイズ 24.5 cm
デビュー 1989年
所属事務所 プロダクション尾木→
夫 所属していた事務所の社長と2002年結婚

1990年代前半に活躍したアイドルグループCoCo。その元メンバーのはねだえりかが、シングルマザーの道を選んでいたことが、つい最近わかった。

「6月23日に放送された『ノンストップ!』(フジテレビ系)に出演した際に、はねだ本人の口から告白されました。2012年に一般人男性との結婚と妊娠を発表しましたが、相手との同居生活に疲れ、入籍前に別れてしまったことを涙ながらに語っていました」(テレビ関係者)

 結婚&おめでたという、人生の幸せの真っ最中に、まさかシングルマザーになっていたとは‥‥。はねだは現在、8月の舞台復帰に向けて準備中だという。

 CoCo解散後のメンバーたちは、それぞれに波乱万丈の人生を送っている。“ミッキー”の愛称で親しまれ「乙女塾」の1期生でもあった大野幹代は歌手活動を続け、自主製作のシングルなどをコツコツとリリース。芸能界の第一線からは姿を消したが、2002年に大野が所属するバンドの「LOVE TRACE」のメンバーで所属事務所の社長でもある安本勇二と結婚。2003年には出産している。芸能界では花開かなかったが、女性としての幸せをみごと掴んだ。
http://www.asagei.com/excerpt/61154

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あわた うらら
粟田 麗
本名 同じ
生年月日 1974年8月21日(42歳)
出生地 神奈川県
玉川大学文学部芸術学科演劇専攻卒業
血液型 O型
身長160cm
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1994年 -
所属事務所 小野事務所

中谷美紀が主演するTBS金曜ドラマ『私結婚できないんじゃなくて、しないんです』が、4月15日(金)夜10時より、初回15分拡大で放送スタートする! 中谷演じる、「39歳、独身、容姿端麗、年収1500万」という最強の“恋愛弱者”が、藤木直人演じるドSで毒舌の恋愛スペシャリストから恋愛術を学んでいく痛快ストーリーだ。

注目の第1話は、4月15日(金)夜10時より、初回15分拡大で放送スタート! 切実だからこそ笑える、痛快で楽しいラブコメディを盛り上げるのは、藤木直人、徳井義実、瀬戸康史、夏木マリ、大政絢、長谷川京子、松井珠理奈(SKE48)、マルシア、蘭寿とむ、平岩紙、健太郎、森田甘路、粟田麗、音尾琢真、ちすん、平田薫、緑友利恵、東李苑(SKE48)など、個性豊かな共演者たち。
また、ドラマ主題歌となっているのは、いきものがかりの『Sweet! Sweet! Music!』(EPICレコードジャパン)。ドラマのために書き下ろされた春らしい1曲が、さらに物語を弾んだものにしてくれるはずだ。

http://music-book.jp/video/news/news/117327
左から音尾琢真、栗田麗、平岩紙、中谷美紀、迫田孝

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わにぶち はるこ
鰐淵 晴子
生年月日 1945年4月22日(71歳)
出生地 東京都
大西学園高校卒業
身長 165cm
体重 48kg
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ
夫 服部時計店の服部歊(偏は「高」、旁は「欠」)
写真家のタッド若松
家族 鰐淵理沙(娘・タレント)
鰐淵賢舟(父・バイオリニスト)
所属事務所 松竹→フリー

先日開催された角川映画祭で『悪魔が来りて笛を吹く』(78)を久々に再見した際、事件のカギを握るヒロインを務める鰐淵晴子の妖艶な美しさに、改めて圧倒されました。日本人とオーストリア人のハーフという出自からくる日本人離れした西洋的な雰囲気が、横溝正史原作のおどろおどろしい猟奇ミステリ劇と不思議に合致し、ついには作品そのものの象徴として実に見事に映えているのです。

もともとは天才少女ヴァイオリニストとして絶賛され、初主演映画『ノンちゃん雲に乗る』(55)で瞳の大きな愛らしい美少女として日本中の少年たちを魅了した彼女ですが、いつしかゴージャスかつミステリアスな美女となり、やがては演技派女優として台頭していくのでした。

鰐淵晴子は1945年4月29日、東京都の生まれ。父はヴァイオリニスト鰐淵賢舟で母はハプスブルグ家の末裔のひとりであるオーストリア人。3歳半ばから父・賢舟の指導のもとでのレッスンを受けるようになり、6歳で父と共に日比谷公会堂でヴァイオリンを初演奏し、8歳で全国を演奏旅行し、天才少女ヴァイオリニストと謳われるようになります。

52年、劇中でヴァイオリンを弾かせてくれることを条件に、大映『母子鶴』で若尾文子の幼年期を演じて映画初出演。そして55年、新東宝のファンタジー映画『ノンちゃん雲に乗る』で映画初主演して大いに話題を集め、この後映画会社各社が彼女を獲得すべく画策を開始しますが、父が映画界入りを強硬に反対し、しばらくは音楽の世界に専念。

59年、佐分利信監督の『乙女の祈り』に主演して、ようやく松竹と専属契約を結びます。同年『わかれ』では実年齢より6歳も年上の20歳の女性を演じましたが、165センチという当時の日本人女性には大柄な体躯と堂々たる存在感で、まったく違和感はありませんでした。

それどころかファニー・フェイスが流行っていた当時の映画界の中、オーソドックスな美貌の彼女は「原節子の再来」とまで謳われ、60年には『伊豆の踊子』『明日はいっぱいの果実』『あんみつ姫の武者修行』と主演作を連打。

さらには英語とドイツ語が堪能なことから、56年冬季オリンピックのアルペン三冠王となったオーストリアのトニー・ザイラーを主演にしたスキー映画『銀嶺の王者』(60)のヒロインにも抜擢され、同年のTBSテレビ『世界一周空の旅』ではホステスとしてヨーロッパやアジアなど世界各国を回りました。

この後も『猟銃』(61)や『晴子の応援団長』(62)、『ローマに咲いた恋』(63)など松竹看板スターのひとりとして多数の作品に出演しますが、日本映画界全体の斜陽に伴い、彼女もデビュー当時ほどには作品に恵まれないようになり、65年に松竹を退社してフリーとなり、以後は東映『花札渡世』(67)や大映『眠狂四郎無頼控・魔性の肌』(67)に出演しました。

68年に結婚するも翌年離婚し、アメリカに渡ったところ、そこでカメラマンのテッド若松と出会い、帰国後の72年に再婚(86年、離婚)。この時期から従来の美貌に妖艶さが加わるようになり、『反逆の報酬』(73)『脱走遊戯』(76)を経て、77年の大林宣彦監督の商業映画デビュー作『HOUSE』ではヒロインの父親の婚約者をゴージャスな雰囲気で演じ、作品の優雅さを大いに高めてくれています。

また76年に彼女が出した同名ヒットソングをモチーフにした牧口雄二監督の『らしゃめん』(77)では、久々に主演。ここでは外国人の現地妻、いわゆる洋妾“らしゃめん”を演じていますが、彼女の出演シーンはすべてタッドが撮影を担当したとのことです。

78年の横溝正史原作のミステリ映画『悪魔が来りて笛を吹く』も不思議な作品で、最初にも記しましたが、ここで彼女はヒロイン役を務めながらもほとんど内面など深く描かれることはなく、しかし、ただそこにいるだけで作品世界の猟奇的妖艶さや華麗さ、そしてはかなさなどを象徴する存在として見事に映えていました。

80年代は舞台出演にも積極的になっていき、一方で『二十世紀少年読本』(89)『ZIPANG』(90)など林海象監督作品の常連としても活躍するようになっていく鰐淵晴子ですが、95年にはそれまでの実績が認められ、『平成無責任一家・東京デラックス』『遥かな時代の階段を』『眠れる美女』の3作品でそれぞれ個性的な役柄を巧みに演じ分けて毎日映画コンクール女優助演賞を受賞しました。

その後も『不機嫌な果実』(97)『天国の本屋~恋火』(04)『着信アリ』(05)と順調にキャリアを重ねていきますが、『初恋』(06)以降の映画出演が途絶えているのは惜しまれるところです。

なお、一女の鰐淵理沙は現在、国際的声楽家・歌手・タレントとして活躍中。やはり音楽一家としての血は確実に受け継がれているようです。
http://cinema.ne.jp/recommend/harukowanibuchi2016090411/

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