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あしかわ よしみ
芦川 よしみ
プロフィール
本名 河野芳美
別名義 粟屋芳美
生年月日 1958年12月13日(57歳)
出生地 東京都
小野学園女子高等学校卒
身長158cm
体重44kg
血液型 O型
職業 女優・歌手
活動期間 1969年 -
オフィス三井所属
夫 医師

そろそろバブル時代に突入しようかという86年、CMから流れたデュエットソングは爆発的にヒットした。芦川よしみ(57)と武田鉄矢が歌った「男と女のラブゲーム」である。

── 「タケダ胃腸薬21」のCMがオンエアされた瞬間に誰もが口ずさめましたねえ。スナックのチーママ役で歌った「飲みすぎたのは~、あなたのせいよ♪」のフレーズ。

芦川 普通はCMソングって15秒か30秒しか用意されないけど、あの曲は最初から1曲分の長さがあったんですよ。

── 大ヒットは確実と?

芦川 CM自体もそうです。1カ月のオンエアという契約だったのが、好評のうちに3カ月に延びました。

── 76年には歌手デビューしてレコ大の新人賞にも選ばれています。デュエットソングを歌うのはお手のものだったのでは?

芦川 いや、歌手をやめて女優に専念した直後だったので、私は「元歌手」ではなく、「チーママ役」の演技に徹して歌ったんですよ。

── お相手の課長さん役は武田鉄矢でしたが。

芦川 当時、武田さんはゴルフに凝っていらして、収録の合間もゴルフ談議ばっかりで。私はやらなかったのでチンプンカンプンでしたよ(笑)。

── CMであれほどヒットしながら、残念ながらレコードの共演は実現せず。

芦川 武田さんのスケジュールが取れなかったんですね。私は矢崎滋さんとのデュエットでしたが、他にもいろんな人たちとの競作になりましたね。

── 翌年の続編とも言うべき「男と女のはしご酒」は晴れて武田とのデュエットが発売され、ベストテンにも入る大ヒットに。

芦川 TBSの「ザ・ベストテン」では、私が映画の撮影で京都にいて、武田さんがコンサートで北海道。これに赤坂のスタジオも含めて3元中継でデュエットしたんですよ。

── プロの仕事ですねえ。いずれも、世の酒飲みにはテーマ曲のように浸透していました。

芦川 ドラマや映画の撮影で、二日酔いのスタッフが「飲みすぎたのは~」って歌いながら入ってくるんです。私、すかさず「自分のせいよ!」とツッコミを入れていました(笑)。

── それ以前には博水社の「ハイサワー」と、やはり酒絡みのCMがロングランでオンエアされてます。

芦川 全部で6パターンあったと思いますが、第1弾で私、いきなりバニーガールになってるんですよ。夫役の井上高志さんがお風呂に入っていて、そこにバニーの姿で「ハーイ、あなた、ハイサワーよ」って入って行くんです(笑)。

── あのシリーズでは、うたた寝しているダンナに「お客さん、終電だよ!」と語りかけるバージョンもヒットしましたね。

芦川 スタッフのちょっとしたアドリブから、ああいうフレーズが生まれていったんですね。

── 歌手デビューが76年、タケダのCMが86年、右顔面の骨折で6時間にも及ぶワイヤ手術をしたのが06年。末尾が6の年は人生の節目にぶつかっているように思いますが、この16年は明るくありたいですね。

芦川 はい、3月で大手術からちょうど10年だけど、失明の危機も乗り越えられたから、怖いものはないですよ!
http://www.asagei.com/excerpt/52683

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麻田奈美おっぱい爆乳小さい乳首うす色乳輪プリケツ豊満ぽちゃボディの裸ヌード画像

あさだ なみ
麻田 奈美
プロフィール
生年月日 1953年12月15日
現年齢 62歳
出身地 東京都江戸川区
都立武蔵丘高校卒業
血液型 O型
公称サイズ(1972年時点)
身長 / 体重 154 cm / ― kg
スリーサイズ 85 - 60 - 58 cm
デビュー 1973年
「りんごヌード」と呼ばれる一枚の写真をきっかけに大ブレイク

 麻田奈美が世に出たのは今から43年前、昭和48年1月29日号の男性向け雑誌「平凡パンチ」(マガジンハウス)だ。お尻を露出しているものの、ウエストをひねった上半身はセーターを着ている。写真説明では《18歳。身長は154で上からのサイズは85 60 90。スンばらしいヴィナスの発見なワケだから、神秘のベールは時間をかけてとろうよ。もち、だんだんとエスカレートするから期待したまえ》と読者をあおっている。

 その1カ月半後の「平凡パンチ」3月12日号に、オールヌード姿をリンゴだけで隠す当時としては衝撃的な写真が掲載された。同号は普段の約1・5倍にあたる150万部超を売り上げたという。

「パンチ発売の4日後ぐらいかな。うちの事務所が入るビル1階に高校生、大学生らしき男たちが大勢詰めかけていた。何かと思って管理事務所の人に聞いたら『麻田奈美という人が来るらしいから見にきたって言ってます』だって。たまげたよ、そんな大ごとになっているのかって…」と笑うのはカメラマンの青柳陽一(77)。彼女の撮影を手がけた人物だ。現代のようにSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)がない時代に、若者を動かせた麻田の魅力と雑誌の威力に感嘆する。もっとも、その日に撮影予定はなかったそうだが…。

 青柳カメラマンが麻田と会ったのは、47年の秋。それまでに青柳が多くの女性を撮影してきたことを知る母親に連れられて来た。

 「『外に出たがらないんです』と母親が話していたように、おとなしい子だった。ただ、娘の魅力に気づいていたんだよね。小さい顔、長い足、そしてまん丸で崩れない胸…。母親の指示で全部脱いだときに、ビックリしたよ。すごいのが来た!って」

「モデルや女優として活動するつもりがなかったから、欲がなかった。それでいて、どんな長時間の撮影にも、“疲れた”とか“おなかすいた”とか、愚痴を一切言わなかった。これほど素敵な人はいない」と青柳氏。麻田とは昨年も会う機会があったという。「年齢は重ねたが、相変わらず美しいまま。いまだに“青柳さん、あのときはありがとう”って言ってくれる。こっちがありがとうなのにね」

http://www.sankei.com/premium/news/160123/prm1601230025-n1.html

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朝加真由美おっぱい美乳チクビ小さめ乳輪濃いめプリ尻スレンダーボディの全裸フルヌード画像

あさか まゆみ
朝加 真由美
プロフィール
本名 手塚 容子
旧姓 竹内
別名義 あさか まゆみ
生年月日 1955年9月6日(61歳)
出生地 北海道北斗市
函館白百合学園高等学校中退
身長 163 cm
血液型 O型
職業 女優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1973年 -
夫 篠塚勝(1986年結婚 2005年〜2006年頃離婚)
家族 女優の手塚真生(長女)
事務所 イイジマルーム→ケイファクトリー

1970~80年代に人気を呼んだフジテレビ系「オールスター家族対抗歌合戦」が、「復活!オールスター家族対抗歌合戦」(BSフジで7月16日午後7時から放送)のタイトルで30年ぶりに復活する。9日に都内で収録が行われ、アシスタントとして出演する女優の手塚真生が、73~76年にアシスタントを務めていた朝加真由美(あさかまゆみ名義)の長女であることが番組内で発表された。

芸能人家族が歌で対決する同番組は、かつて最高視聴率28.5%を記録。初代司会だった萩本欽一の弟子で、故東八郎さんの次男として出演経験がある「Take2」の東貴博が司会を務めるが、アシスタントの手塚も実は同番組のDNAを受け継いでいた。母・朝加は73~76年にアシスタントとして出演しており、今回は自らチームを率いて歌合戦に参加している。他の出演者にも収録当日まで伏せられていたそうで、「似ていると思った」「昔のお母さんにそっくり」と声があがったという。

手塚は、このタイミングでの公表について「デビュー当時に発表していれば多少の話題性はあったかもしれませんが、そうする事で私はダメになっていたと思うんです。隠すことにも限界がありますし、変なこだわりもなくなりました」と明かす。10代の頃は母に反発して家出をしたが、最近になって一緒に暮らすようになったといい「同じ仕事をするようになって、母に対するリスペクトも芽生えました。小学校の卒業文集に、『母より有名な女優になる』って書いていた事を思い出しました。娘ということを公表し、自分に負荷をかけることで、さらに上を目指したいと思います。負けられませんから」と話す。

収録翌日は約10年ぶりに体調を崩したようで、「すごいプレッシャーだったんでしょうね」と苦笑い。それでも、「この番組に出演させて頂く事が決まってから、家族で集まって歌の練習をする時間を重ねたことで、家族の大切さ、ありがたさを改めて感じました。番組をご覧くださる方のなかで疎遠になっている家族がいらしたら、久しぶりに連絡を取ってみてほしいですね。縁を切ることもできるし、一緒にいることもできる。私は苦痛を乗り越えたからこそ見えてきた事もあったので(時間はかなりかかりましたが)、そんなきっかけになればいいなと感じています」と胸のうちを語った。

http://eiga.com/news/20160714/3/



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石野真子おっぱい美乳ツン勃ち乳首の裸ヌード画像とマン毛乳輪すけすけビキニ水着写真

いしの まこ
石野 真子
本名 同じ
別名義 石野 眞子
生年月日 1961年1月31日(55歳)
出生地 兵庫県
私立百合学院中学校、百合学院高等学校→堀越高等学校
身長 156 cm
血液型 A型
職業 女優、歌手
ジャンル テレビドラマ、舞台、映画
活動期間
アイドル歌手時代: 1978年 - 1981年、
復帰後:1983年 -
夫 長渕剛 (1981年結婚 1983年離婚)
広岡瞬 (1990年結婚 1996年離婚)
家族 妹 (いしのようこ、宝乃純)
事務所 フロム・ファーストプロダクション

――この夏、石野さんはサマーツアーを行われていましたよね。ツアーでのTシャツに書かれていた手書きの一文が目を引きました。それは……。

石野:「いやあ、がんばりまっす。」でした(笑)。

――なんだか石野さんのフワッとしたキャラクターが、そのまま表れている感じですよね(笑)。

石野:私、ツアーのたびに何か一文を考えて書いたり、得意な絵を描いたりして、ファンの方と共有しているんです。

――なるほど。では、今年の“宣言”には何か意味があるのですか?

石野:もう、そのまんまです。ホントに(笑)。おかげさまで忙しい夏だったので“頑張ります!”と。ライブって結構、エネルギーを使うんですよ。でも、何より今年の夏は暑かったっていうのはありますね(笑)。

――いかにもな理由ですね! 石野さんが出演されている、現在全国で公開中の映画『にがくてあまい』でも、それが生かされていますね!

石野:そうですかね? それはそれとして、この映画、とてもいい作品ですよ!

――天真爛漫な独身女性のマキがふとしたきっかけで同居するようになったイケメン男子の渚が、実は同性愛者だった……ということから始まる騒動を描いたラブコメですね。

石野:都会に出て一生懸命もがいて働く女性がいろんな出会いでちょっとずつ成長していく……というホントにキュートな映画なんです。でも、初めて台本を読んだときには、これをどういうふうに表現していくんだろうと興味が湧きました。

――ふむふむ。

石野:でも、完成した作品を見ると、字面で追っていくだけでは分かりにくい部分も、とてもポップな映像で訴え掛けてくるものになっていました。その中に、今を一生懸命生きる人間のそれぞれの日常の悩みが描かれていて、なるほどねって改めて思ったりしました。

――女優の川口春奈さん演じる主人公・マキの母親役だった石野さんの“お母さんぶり”にもスゴく心が温かくなりました。

石野:私のことをアイドル時代から応援して下さっている方って、今はたぶん50代ぐらいになっていると思うんです。そうすると、お子さんが大学進学だったり就職だったりとかで、親元を離れることに直面している方々もいらっしゃると思うんです。そういう方が観たら、思わずポロってきちゃうんじゃないかしら。

――心に訴えるモノがあるということですね。

石野:そうは言っても、気構えて観る映画では決してないんです。ホントに、フラっと気軽に観て「あ~楽しかった」って単純に思えるラブコメ作品なんですよ。それと、作中のいろんなところで美味しそうな料理がいくつも出てくるので、観ているうちにお腹が空いてきますよ(笑)。

――空腹時に観るのはNGということですね。

石野:そうですね(笑)。

――今回演じられたのは、母親役でした。

石野:これが、しっかりしたお母さんなんですよ。旦那さんが脱サラして突然農業を始めたんですが、生活が苦しい中でもそれを一生懸命支えたんです。でも、そういう苦労や大変な部分は外に見せず、フワッとしている。

――石野さん、そのまんまって感じですよね。

石野:そうですか?(笑)

――一方で、とてもキュートというかお茶目なところが多い役柄でした。

石野:ねぇ~。いろんな事に興味を持っているんですよね。ただのふんわりした大人しい母さんじゃなくて、人生そのものを楽しんでいる女性なんじゃないかって思いました。

――中野英雄さん扮する夫の豊は、いかにも“昭和のオヤジ”って感じで、石野さんが演じたお母さんのキャラとは正反対でしたね。

石野:頑固者で、娘のことを愛していてもなかなかそれをハッキリと表現できないところがあってね。不器用って言うのかな。ま、どこの家庭でもお父さんと娘というのはあんな感じなのかもしれませんよね。

――そんな父親ですが、農業のかたわら、地ビール造りにも挑戦。そして、自分が作ったビールのうち、良くできたと思った一本だけを、娘のために残しておく……というくだりにはグッとくるものがありました。

石野:やっぱり、なんだかんだ言ってもお父さんなんですよね。だから、娘が同棲している男性を実家に連れて来たというのには、驚いたと思いますよ。

――お父さんの心情は考えるだけでソワソワしちゃいますね。

石野:でも、実はその男性が同性愛者だったというオチで、そこでまたビックリするんですけどね(笑)。

――娘のマキ役の川口春奈さんとの息もピッタリでしたが、初共演ですか?

石野:そうなんです。

――川口さんはどんな方でした?

石野:とても感受性豊かな方で、一方でストレートな部分もある。スゴく素敵な方でした。撮影期間はホントに短くて、私は1日で終わってしまったんですけど、すごく濃い1日でした。

――わずか1日で、ああいった家族の空気感を出すのは難しかったのでは?

石野:今、思えばそうなんですよ(笑)。でも、その部分ではそんなに苦労はしなかったですね。実際にロケ地に入って、俳優を含めてスタッフ一丸となると抵抗なく自然と入り込めるんだなと思いました。

――スクリーンで観ていると、石野さんと川口さんは本当の親子みたいな空気感でしたよ!

石野:撮影のときも、“映画を撮っている”という意識がなかったんです。それぐらい、自然でいられました。

――つまり、石野さんご自身が、肩にムダな力を入れていなかったということで、その感じが伝わってきたんでしょうね。

石野:川口さんと餃子を作るシーンがあるんですけど、特にその部分は印象に残っていますね。

――実際、観ている側にとって最も親子に見えた瞬間だったと思います。ちなみに、プライベートでは餃子を作ったりしますか?

石野:さすがに餃子の皮からは作りませんが、作ることはありますよ。あんを包むのは得意なんです。

――では、得意な料理は?

石野:餃子! と言いたい場面ですけどね(笑)。私、こう見えていろいろと料理をやるほうなんですよ。具体的にコレというのは思いつかないくらいなんです。

――そういえば、先ほども話に出た地ビールをみんなで飲むシーンなんですが、みんなで同時に口に含んだ瞬間、一斉に噴き出してしまったじゃないですか。

石野:娘のために用意した地ビールが、寝かせすぎてしまって、実はおいしくなかったという場面ですよね。噴き出すの、意外と難しかったんですよ(苦笑)。でも、川口さんはとても上手でした(笑)。

――意外なウラ話ですね! ところで、石野さんの出演シーンは、千葉県の鋸南町で撮影されたと伺っています。緑が一面に広がる自然豊かな場所でした。

石野:ああいう、きれいな空気の中でいられることは幸せですよね。

――そういえば以前、あるインタビューで「緑の見える所で愛するパートナーと一緒にお茶を飲みながら生きて行くのが理想」とお話しされていました。

石野:そうでしたっけ? 忘れちゃいました(笑)。

――では、石野さんの理想のパートナーというと、どのような方なのでしょう?

石野:う~ん、すぐには思い浮かばないですね……。ピンと来ないといいますか(苦笑)。

――では、理想の家族像はありますか?

石野:やっぱり言いたいことを言い合えて、ケンカもしつつ、お互いを尊重できる……そんな家族って素敵だなって思いますね。

――でも、今はお仕事が一番ですか?

石野:ハハハハハ、そうかもしれません(笑)。

――そんな石野さんにとって、一人の女性としての目標はあるんですか?

石野:フワッとしてる部分がありますけど、強さと優しさを兼ね備えた女性になれたらいいなぁとは思っていますね。

――お仕事の面では?

石野:女優業を多くするとか歌手のお仕事に比重を置く……といったことに、これまでもあまり考えずにやってきたんですね。“来るもの拒まず!”って感じで。だから、これからも「いやあ、がんばりまっす。」の気持ちでやっていきたいと思いますので応援よろしくお願いしますね(笑)。

「100万ドルの微笑」というキャッチコピーで芸能界デビューを果たした石野さん。インタビュー中に見せた微笑の魅力は今も健在。本誌取材スタッフも、仕事を忘れてほっこりと癒された時間でした!

http://taishu.jp/detail/24656/

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麻倉未稀おっぱい巨乳デカ乳首 乳輪小さめマン毛くろぐろ腰太の全裸フルヌード画像

麻倉未稀
あさくら みき
本名 高橋 徳子(たかはし のりこ)
出生名 村上徳子
生年月日  1960年7月27日(56歳)
出身地 大阪府大阪市
職業 歌手・作詞家
身長 160cm
スリーサイズ B90、W60、H88
活動期間 1981年 - 現在

青春ドラマの名作「スクール・ウォーズ」が9月にブルーレイボックスとして発売され、再び話題を呼んでいる。熱いドラマとともに忘れられないのが、麻倉未稀(56)が歌った主題歌「ヒーロー」。デビュー35周年の麻倉が同曲を中心に制作したアルバム「ボイス・オブ・パワー」で、変わらぬパワフルな声を聴かせている。

 今回は「ヒーロー」を中心にしたアルバム。35周年のリアレンジバージョンに加え、ボーナストラックとしてオリジナル版、「私がいつも歌うときに使用する」というオリジナルカラオケをそれぞれ収録した。

 さまざまな場所、局面で歌ってきた同曲は、元は洋楽カバー。「かかった瞬間に『スクール・ウォーズ』を知らない世代にもスイッチが入る」

 当時は葛城ユキらも歌った競作だったが、日本では今やすっかり麻倉の代名詞的な曲。原曲を含め、他のアーティストは「I need a hero」と歌うが、麻倉の歌った訳詞を担当した売野雅勇は「I」を「You」にした。「スクール・ウォーズ」のヒットのおかげもあるが、「皆さんも少し違うニュアンスでとらえていらっしゃるのかな」と感じたという。

アルバム全体も「ヒーロー」に連なる形で選曲された。「君の瞳に恋してる」「ダンシング・クイーン」といった洋楽カバーは同様のディスコソング。3曲入った新曲のうち、「人生は美しい」が売野の作詞で、「売野先生も35周年ということで、『ヒーロー』のちょっと延長線上で、とお願いしました」。1曲だけ静かな曲の「ノーサイド」は言うまでもなくラグビーつながりの曲だ。

 「20代のときよりは今の方が声のパワーがあるかな」と笑う麻倉。そのパワーを間近で感じることのできるライブは8日、名古屋ブルーノートで開かれる。
http://www.sankei.com/entertainments/news/161007/ent1610070012-n1.html

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